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浦和地方裁判所 昭和59年(行ウ)1号 判決

原告

佐々木正喜

右訴訟代理人弁護士

吉田聰

須賀貴

中山福二

被告

春日部労働基準監督暑長関口謙一

右指定代理人

三枝俊一

代島友一郎

大熊茂

萩原武

川副康孝

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

「1 被告が、原告に対し、昭和五六年七月一八日付けでなした労働者災害補償保険法による障害補償給付支給に関する処分を取り消す。2 訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

二  被告

主文同旨の判決

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原処分

原告は、訴外加藤製作所(南埼玉郡白岡町高岩一七九六)に製缶工として勤務していたが、昭和五一年三月一六日同所内において、パネル部品のアングルにボール盤を使用して穴開け作業中、手袋をドリルに巻き込まれ右手指に受傷したので、治療を受け、右負傷は昭和五六年五月一一日治癒(症状固定)した。

原告は、その後も身体障害が残存するとして、昭和五六年五月一二日被告に対し、障害補償給付請求をしたところ、被告は、同年七月一七日原告に残存する身体障害として、〈1〉右手第三指及び第四指の亡失、〈2〉右手第五指の用廃、〈3〉カウザルギー及び精神障害を認定し、右認定に係る残存障害の〈1〉については、労働者災害補償保険法施行規則別表第一の障害等級第一〇級の五(以下、障害等級は同別表第一所定のものをいう)、同〈2〉については、第一四級の五、同〈3〉については、服することができる労務が相当な程度に制限されるものであると認めて、第九級の七の二にそれぞれ該当するものであると認定した上で、前掲施行規則一四条二項、同条三項一号により併合、繰り上げした結果、結局、第八級に該当するものとして、同等級相当額の障害補償給付を支給する旨の決定(以下「原処分」という)をした。

2  審査及び再審査の経由

原告は、原処分を不服として、埼玉労働者災害補償保険審査官(以下「審査官」という)に対し、昭和五六年七月二二日審査請求をしたが、同五七年三月五日審査官は、右請求を棄却した。

そこで、更に、原告は、右棄却の決定を不服として、労働保険審査会(以下「審査会」という)に対し、昭和五七年三月一六日再審査請求をしたが、同五八年九月二六日審査会は、右請求を棄却した(なお、原告が再審査請求棄却の裁決を知ったのは、昭和五八年一〇月二四日である。)。

3  原処分の違法性

しかしながら、原処分は次の理由により違法である。すなわち、原告に残存する身体障害のうち、被告は、「カウザルギー及び精神障害」の程度について、軽易な労務以外の労務に服することができないものであるから、第七級の三と認定をした上、前掲施行規則による併合、繰り上げの結果、第六級と認定をなすべきところ、右事実の認定及び法令の解釈を誤り、第八級に該当するとして同等級による保険給付支給の決定をしたものであるから、原処分は違法である。

4  よって、原告は、違法な原処分の取消を求める。

二  請求の原因に対する認否及び被告の主張

1  請求の原因に対する認否

(一) 請求の原因1及び2の事実は認める。

(二) 請求の原因3は争う。

2  被告の主張(原処分の適法性)

(一)(1) 障害補償給付は、労働者災害補償保険法一五条に基づく労働省令たる労働者災害補償保険法施行規則(以下「施行規則」という)一四条に定める別表第一の障害等級に応じてなされなければならないところ、原告の障害補償給付請求については、支給請求書に添付された東京労災病院の医師泉清高(以下「泉医師」という)の診断書には原告の身体障害の部位及び状態は「〈1〉右手第三指・第四指切断、〈2〉右手カウザルギーによる痛み、〈3〉カウザルギーによる精神障害」と記載されているが、被告は右の診断書のみをもってしては障害等級を決定し得なかったので、被告の所部の調査官(以下「調査官」という)は、昭和五六年六月一八日原告を春日部労働基準監督暑に出頭させ、身体障害申立書を提出させたうえ、原告について実地調査をし、同調査の際、春日部市所在の武里外科脳神経外科医院の院長で、埼玉労働基準局の嘱託医である遠藤実医師(以下「遠藤医師」という)の診断を受けさせた。

原告の前記身体障害申立書によると、障害の部位は、右手第三指・第四指であって、障害の状態は、「右手に少しふれただけでふとんばりをさしたような痛みがある」、「夕方になると痛みがはげしくなる(かたの裏側が痛くなる)」、「片腕全部が痛む」、「小指と薬指を動かすとピリピリ電気みたいな痛みがある」、「頭が半分痛くなる(耳なり等ガンガンする)」という。

これに対し、遠藤医師の診断によると、原告の障害の状態は、器質的には、「中指基節骨の一部を残して切断」、「環指基節骨二分の一を残して末梢を亡失」、「小指PIP関節の変形」であり、神経的には「神経症状について、右手掌中央部に圧痛があり、圧迫することにより橈骨神経、上肢筋皮神経に放枝痛を来す」とされた。

遠藤医師の診察・診断に同席し、原告を視診した調査官は、更に原告と対面し、質問調査した結果、原告の本件災害は業務上のものであること、右手第三指・第四指の亡失が認められること、これによると右手カウザルギーによる神経及び精神障害が存することを認めた。

被告は、泉医師及び遠藤医師の各診断書、調査官の調査書及び原告の身体障害申立書に基づいて、原告に残存する身体障害として〈1〉右手第三指及び第四指の亡失〈2〉右手第五指の用廃〈3〉カウザルギー及び精神障害を認定した。

労働省が前記施行規則に定める障害等級認定の運用基準として専門医師の意見を参酌して定めた障害等級認定基準(昭和五〇年九月三〇日基発第五六五号、昭和五六年一月三一日基発第五一号)によれば、カウザルギーの障害等級認定基準は次のとおりである。

カウザルギーを障害等級表上どの等級に位置づけるかの一般的基準として、右基準は、カウザルギーにより「軽易な労働以外の労働に常に差し支える程度のもの」は第七級の三(保険給付は障害補償年金)、「一般的な労働能力は残存しているが、カウザルギーにより時には労働に従事することができなくなるため、就労可能な職種の範囲が相当程度に制限されるもの」は第九級の七の二(保険給付は障害補償一時金)、「労働には通常差し支えないが、時には労働に差し支える程度のカウザルギーが起るもの」は第一二級の一二に該当するものとされている。

被告は、右に認定した原告の身体障害をもって、〈1〉については障害等級第一〇級の五、〈2〉については同等級第一四級の五、〈3〉については、カウザルギー及び精神障害が存するので、服することができる労務が相当な程度に制限されるものであると認め、同等級第九級の七の二にそれぞれ該当するものであると認定した。

被告が右認定をするについて、〈1〉について第一〇級の五、〈2〉については第一四級の五、〈3〉については、「神経症状、カウザルギー著しいものが残存する及び精神障害を含めて第九級の七の二」とする遠藤医師の意見及び〈1〉については第一〇級の五、〈3〉については右手カウザルギーによる神経及び精神障害をもって第九級の七の二とする調査官の意見を参考にした。

ところで、このように、身体障害が二以上ある場合には、重い方の身体障害の該当する障害等級によるものとされ(施行規則一四条二項)、また第一三級以上に該当する身体障害が二以上ある場合には一級繰り上げた障害等級によるものとされる(施行規則一四条三項一号)。

そこで、被告は、右により原告の障害等級は第八級であると認定し、昭和五六年七月七日、障害補償一時金として二八七万二三八一円、障害特別一時金として四八万五五二〇円、障害特別一時金として六五万円、合計四〇〇万七九〇一円を原告に支給する旨の処分(以下「本件処分」という)をしたのである。

(2) その後、原告のなした審査請求に対して、審査官は、原告と面接して事情聴取をなし、泉医師とも面接して事情聴取をなし、浦和市立病院の名誉院長であり埼玉労働基準局の嘱託医である医師中村友輔(以下「中村医師」という)から鑑定書の提出を受けた。

右鑑定書によると、同医師の鑑定意見は「右手カウザルギー軽易な労働以外に常に差支える程度の疼痛があるものとして七級の三」「……七級の三に該当するものと思量する。但し、フォローアップの要あるものと考える。」というものであった。そこで、埼玉労働災害補償保険審査参与四名全員による参与会議を開き意見を求めたところ、「中村医師意見は認定基準上認められないので原処分の障害等級八級としたことは適正であり取消しすべきものではない。」という意見であった。審査官はこれらの資料及び意見をもとに、原処分は正当であると判断し、右審査請求を棄却した。

(3) 次に、審査会は、原告のなした再審査請求に対し、原告、被告及び審査官から提出された資料及び公開審査期日になされた原告についての触視診の結果等に基づき、原告の神経症状については、幻指痛・カウザルギーとともに原告は情緒が不安定でこれには心因も多分にあることを認め、また、触視診により、「右手中指、環指が切断されており、その部分に疼痛を訴えるが、小指については、変形が認められるものの動かしても痛みを訴えない。右腕関節を尺側に屈曲させると橈側部分に痛みを訴えるが、そのほかには、右肘、肩には運動痛はみられない。前腕の太さは視診では左右差はなく、また、前腕及び手の皮膚の色、光沢にも、左右とも異常はみられなかったので、「手掌は痛みでさわることができず、夏でも皮手袋を使用している」とする原告の主張は容易に認められないとし、結局、原告に残存する身体障害は障害等級第八級に該当するものと認め、同等級相当額の補償給付等を支給する原処分を正当として、再審査請求を棄却したものである。

(二) 原告は、被告のなした原処分の直後である昭和五六年七月から同年一二月中旬ころまで、ラーメン屋を経営し、自ら手袋をすることなく調理し、皿洗い、配膳などの作業を行っていたから、原告は、手指を用い、腕力を必要とする製缶工として就労することが制限されるとしても、ラーメン屋を経営し、調理するなどの一般的労働能力は残存していたものであり、被告の認定が正しいことを示すものである。

(三) 以上のとおり、右各医証より明らかにされている事実及びその他諸般の事情を総合勘案すれば、原告に残存する「カウザルギー及び精神障害」はまさしく第九級の七の二に該当するものであって、前掲施行規則による併合、繰り上げの結果、結局、第八級に該当するものであり、第八級より高い等級に該当するものではないことは明らかであるから、原処分は正当である。

三  被告の右主張二2に対する認否及び原告の反論

1  被告の主張に対する認否

(一) 被告の主張(一)は認める。

(二) 被告の主張(二)のうち、原告がラーメン屋を経営したとの点は認め、その期間及び原告が自ら手袋をすることなく調理し、皿洗い、配膳等の作業を行っていたとの点は否認し、原告に一般的労働能力が残存していたから、原告の残存障害のうち「カウザルギー及び精神障害」が第九級の七の二より高い等級に該当するものではなく原処分は正当であるとの点は争う。

原告が、ラーメン屋を経営していた期間は、昭和五六年八月五日から同年一二月一日までである。

原告は、料理職人を雇用して同人に仕込みと調理を、原告と同居していた菅野幸子に注文受け、料理運搬、皿洗い等をそれぞれ担当して貰い、原告自身は代金処理その他の雑用を担当していたが、同年九月二〇日ころ料理職人がやめてからは、調理の仕事は主に菅野幸子が担当し、原告が手袋をして皿洗い等の補助的仕事を担当した。

原告は、カウザルギー及び精神障害のため積極的にラーメン屋を経営しようとの意思はなかったが、職人に手伝ってもらえば経営できるということで、漸く始めたのであり、頼みにしていた職人が退職した昭和五六年九月二〇日ころ以降、調理を担当してくれていた菅野幸子が同年一〇月中旬ころ入院したため、以後休業を重ねることになり、結局、同年一二月一日に閉店したのであって、原告一人ではラーメン屋の経営は無理であったのだから、原告に一般的労働能力が残存していたわけではなかったのである。従って、一般的労働能力の残存を前提とするカウザルギー及び精神障害を第九級の七の二とした等級認定は正当ではない。

2  原告の反論

(一) 原告は、本件受傷直後に右手第三指及び第四指をその基節から切断する施術を受けたのであるが、その施術の数日後から、右手掌や手甲に火傷をしたときのような非常に激しい焼かれるような疼痛が走るようになった。この疼痛は、手掌あるいは手甲に強く針を差し込んだような感じのものであり、しかも、右疼痛は手掌あるいは手甲にとどまらず、腕から肩にまで至り、そのため、頭部が痛み出すとともに激しく耳鳴りがするという、カウザルギー特有の症状であった。右疼痛は、四六時中続き、そのため、原告は夜も眠れない状態に陥った。

(二) 原告は、受傷直後である昭和五一年三月一六日から原処分のなされた昭和五六年七月までの間、新井病院、大宮赤十字病院、毛呂病院及び東京労災病院で治療を受けてきたのであるが、一向にその疼痛は治まる気配はなく、原処分当時の原告の症状は、右手掌あるいは手甲に火傷のような痺れがあり、それとともに手掌あるいは手甲に針を差し込んだような疼痛と、加えて腕から肩にまで痛みが広がり、左頭部痛と耳鳴りがして、夜も睡眠がとれず、毎日睡眠薬を服用しており、手掌に触れることもできず、風に当っても痛むので皮手袋を着用しているという状況であった。

(三) そして、現在でも、原告の症状は、以前と変らず、手掌あるいは手甲に太い針を差し込んだ感じで突っ張った感覚を伴った疼痛が四六時中継続し、神経が剥き出しになっているように感じ、風が当たるとより強く痛み、そのため手袋は手離せず、熟睡することができない状態である。

(四) 従って、原告のカウザルギーの症状は、受傷直後から現在に至るまで変化なく継続している程重いものであり、原処分から再審査請求につき判断がなされるまで右カウザルギーにより軽易な労働以外の労働に常に差し支える程度のものであったのであるから、第七級の三と認定した上で、前掲施行規則による併合、繰り上げの結果、結局、第六級と認定すべきだったのである。

第三証拠

本件記録中の各書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  訴えの適否関係

請求原因1及び同2の事実は当事者間に争いがない。

二  処分の適否

1  事実欄第二、二、2、(一)記載の被告主張事実は当事者間に争いがない。

2  そこで、処分の適否(判断の当否)について検討する。

(一)  カウザルギーとその障害等級認定基準について

(1) カウザルギー

(証拠略)によれば、次の事実が認められる。カウザルギーとは、末梢神経幹の損傷などに起因して、外傷直後または数日後から生ずる非常に激しい灼けつくような疼痛を主症状とする疾患をいう。その範囲は、神経損傷部位の上にまで及ぶ。この疼痛は、身体的・精神的刺激で増強され、物理的刺激も疼痛増強の原因となる(皮膚の知覚異常、特に知覚過敏)。そして、何らかの処置を行えば行うほど疼痛増強を招き、不眠に陥り、性格異常に至り、遂には自殺を試みる場合もある。

(2) カウザルギーの障害等級認定基準について

労働者災害補償保険法に基づく障害補償給付は、労働者が業務上負傷しまたは疾病にかかり治癒したとき身体に障害が残存する場合に、その障害による労働能力の喪失に対する損失填補を目的としてその障害の程度に応じて行うものであり、その障害の程度は施行規則別表第一障害等級表に定められている。

そして、同規則別表第一障害等級表第七級の三には「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」が、第九級の七の二には「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」が、第一二級の一二には「局部にがん固な神経症状を残すもの」がそれぞれ挙げられている。

(証拠略)と弁論の全趣旨をあわせれば、右規則をうけて労働省は障害等級を認定するにあたり基準とすべき「障害等級認定基準」を定めているところ、これによれば、まず、身体を解剖学的観点から分けた「部位」としては「神経系統の機能又は精神」に位置付けられ、次に、それぞれの部位における身体障害を機能の面に重点を置いて生理学的観点から分けた「障害の系列」としては「神経系統の機能又は精神の障害」に位置付けられ、更に、各障害をその労働能力の喪失の程度に応じて配列された「障害の序列」としては、疼痛の発作の頻度、疼痛の強度と持続時間及び疼痛の原因となる他覚的所見などにより、疼痛の労働能力に及ぼす影響を判断して、(a)軽易な労働以外の労働に常に差し支える程度の疼痛があるものは第七級の三に、(b)一般的な労働能力は残存しているが、疼痛により時には労働に従事することができなくなるため、就労可能な職種の範囲が相当な程度に制限されるものは第九級の七の二に、(c)労働には通常差し支えないが、時には労働に差し支える程度の疼痛が起こるものは第一二級の一二に該当すると認定すべきものとされているが、この基準はこれを前記規則に照らして考えると合理的なものとみることができる。

(二)  本件においては、被告は、本件認定にあたり原告の残存障害中「カウザルギー及び精神障害」について、右の(b)に該当するものと判断したのであるが、この判断が正当として是認できるものであるかどうか検討することにする。

(1) 原告の受傷から治癒まで

(証拠略)並びに原告本人尋問の結果によれば次の事実が認められる。

原告は、昭和五一年三月一六日、請求の原因1記載のように作業中に右手指に受傷した直後、新井病院に入院し、「右手第三指、第四指及び第五指挫滅創兼骨折」と診断され、断端形成の手術を受けて、同年三月二二日に退院したが痛みが止まらないので、同年八月一七日には第三指再形成の手術を、同年一一月の八、九日には第四指断端形成の手術をそれぞれ受け、昭和五三年五月三一日まで通院治療を受けたが、そのころから右手第三指、第四指付近に針が一本差し込まれたような疼痛を訴えていた。その後、原告は、昭和五三年六月一日から大宮赤十字病院に転医して松永仁医師及び大久保行彦医師の下で治療を受けたが、同年一二月一日には松永仁医師に対し右指幻指痛と不眠を訴えており、引き続き昭和五五年六月四日には幻指痛を訴えて、通院可能だが就労できないと診断され、同月三〇日まで通院した。更に、原告は、昭和五五年六月五日から同五六年五月一一日まで東京労災病院で治療を受け、泉医師の下で同五五年七月一〇日に入院し右手疼痛部位の神経切除手術を受けたが術前よりかえって痛みが増したと訴えて、同年八月二日に退院し、昭和五六年一月一九日の時点でなお、原告は泉医師に右手指の痛みと不眠を訴えてカウザルギーと診断された。また、原告は、昭和五六年二月二三日、疼痛除去手術を行うため、東京労災病院に入院手続をしたが、結局手術は受けなかった。そして、原告の症状は前記疼痛の訴えが止まないまま、泉医師によって昭和五六年五月一一日に、症状は固定し、もはや医療の効果は期待できない状態となり「治癒」したと診断された。

なお、原告は、昭和五五年一月二一日から現在に至るまで、毛呂病院大宮分院(精神科)において、原告の訴える睡眠障害、幻肢について通院加療中である。

(2) 原処分と裁決

事実欄第二、二、2、(一)記載の被告主張事実が当事者間に争いがないことは前に述べたとおりである。

しかしながら、再審査請求に対する裁決に至るまでの事実関係について以下仔細に検討してみることにする(なお、裁決により維持された原処分の取消訴訟における処分の違法性判断の基準時は最終の裁決時であると解される。したがって、本件の場合は、再審査請求棄却の裁決時である。)。

Ⅰ (証拠略)、原告本人尋問の結果とをあわせれば、次のとおり認められる。

原告は、昭和五六年五月一二日、被告に対し、東京労災病院の泉医師の作成にかかる昭和五六年五月一一日付けの「診断書」を添付して「労働者災害補償保険障害補償給付支給請求書」を提出し、もって、障害補償給付の支給を求めた。右診断書において、原告は、当時、〈1〉右手第三指、第四指切断、〈2〉右手カウザルギーによる痛みが強く、〈3〉カウザルギーによる精神障害があり、〈1〉〈2〉により右手を使用していないとされていたが、被告はこの診断書だけでは判断できないと考えて、被告の所部の調査官が同年六月一八日に原告を出頭させて質問調査をなし、「身体障害申立書」を提出させた。原告は、右申立書の請求人欄を右手で自署したが、右申立書において、「右手に触れただけでふとん針を刺したような痛みがある。夕方になると痛みが激しくなる。肩の裏側が痛くなる。片腕全部が痛む。小指と薬指を動かすとピリピリと電気みたいな痛みがある。頭が半分痛くなる、耳鳴り等でガンガンする。」と訴えていた。更に、同日、埼玉労働基準局医員の遠藤医師による診断がなされ、その際、原告は右のとおりの右手指の幻指痛と東京労災病院入院中は部屋が恐く後方から拳銃で追いかけられている様で不安だと訴え、遠藤医師は、原告の右手中央部を触って刺激すると上肢の方まで放散痛が出てくることから、右手カウザルギーでありその疼痛は間欠的であると診断した上、障害等級の意見として、断端を触ると正中神経領域に沿った疼痛が出てくるので「神経症状、カウザルギー著しいものが残存する」と、また、原告が疼痛による不安神経症の症状を述べるので「精神的障害を含めて」として、第九級の七の二とした。そして、同日、調査官は、遠藤医師の診断のとおり、原告の右手カウザルギーによる神経及び精神障害を第九級の七の二と判断した。

被告は、以上のとおり、原告の自訴を聞いた上で、泉医師と遠藤医師がこれをカウザルギー及びそれによる精神障害と診断したのを受けて、原告の残存障害たるカウザルギー及び精神障害について、一般的な労働能力は残存しているが、その疼痛は時には労働に従事することができなくなるため就労可能な職種の範囲が相当な程度に制限されると判断して、昭和五六年七月一七日、第九級の七の二とした本件認定を行った上で原処分をなした。

Ⅱ Ⅰのような経過で、被告は本件認定をした上で原処分を行ったのであるが、その後の経緯は次のとおりである。

(Ⅰ) 原告のラーメン屋における稼働状況について

(証拠略)並びに弁論の全趣旨をあわせれば次のとおり認められる。

原告は、昭和五六年八月五日から同年一一月一杯まで、東京労災病院で知り合って、現在同居している菅野幸子とともに、東岩槻駅前に「えぞ一番」と称するラーメン屋を開いた。その店で、原告は、手袋をはめて、客への挨拶のほか時折配膳をし、一日二、三回は左手で丼を片付け、昭和五六年九月二〇日までは職人が手伝いに来ていたが来なくなってからは左手で丼を洗うこともあった。また、菅野が働けないときには、麺を茹でたりもした。

(Ⅱ) 審査について

(証拠略)と弁論の全趣旨をあわせれば次のとおり認められる。

原告は、「昭和五六年五月一一日に治癒した後も、右手掌や手甲が火傷のようにびりびり痛み、手の中全体に針に刺されるような痛みがある。手掌から肩にかけてとても苦しく、左頭部が痛み、耳鳴りが一日中がんがんして人の話が全部分からない。このような状態なので疲れやすく、歩行時も痛み、夜も眠れず、毎日睡眠薬を服用しなくては過ごせない。また、温度によって痛みが激しくなり、手掌は痛みで触ることができず、夏でもガーゼを巻いて風が通らないようにして、皮の手袋をしている。にもかかわらず、原処分が、カウザルギー及び精神障害を第九級の七の二と認定し、結局、第八級だとしたのは納得が行かない。」ということを理由に原処分を不服として、昭和五六年七月二二日、埼玉労働者災害補償保険審査官に対し、「労働保険審査請求書」を提出し、もって、原処分の取消を求めた。

そこで、審査官は、昭和五六年九月八日、原告から事情を聴取したが、その際、原告は「右手が常時手首まで火傷したように熱く、痛みが激しく手を下げて歩くと肩から痛む。このため、夜も眠れず、睡眠薬を毛呂病院からもらい飲んでいる。」と訴えた。次に、審査官は、昭和五六年一〇月二一日、泉医師から事情を聴取したところ、同医師は、「疼痛は精神的なもので、原告の希望があれば治療を継続しても良いと思っていたのに、原告が突然、障害補償給付支給請求書を持って来たので、休業補償は打切りになることを説明した上で診断書を作成した。」と述べた。更に、審査官は、同年一一月九日、埼玉労働基準局労災医員中村医師に原告を受診させて、同月一六日、「鑑定書の提出について」と題する意見書を提出させた。原告は、右受診の際、中村医師に右手から肩にかけての疼痛と夜眠れないことを訴えており、中村医師は、原告の右主張自体、右手第三指、第四指の切断による神経の障害が存すること、カウザルギーと診断されて手術を二度受けていること及び原告が不眠について薬を飲んでいると言っていることから、原告の訴えている疼痛は真実であると考え、次に、第七級の三と認定するとき、負傷者の労働能力は平均人の二分の一であるとした上、ラーメン屋での皿洗いは軽い仕事であるし、現に原告の右手第三指、第四指が亡失しているのであるから重労働はできないのであって、その労働能力は平均人の二分の一に達しないから、右手カウザルギーを「軽易な労働以外常に差し支える程度の疼痛がある。」として第七級の三と判断した。しかし、中村医師は、この判断はあくまで診断の時点のものであり、症状が良くなる可能性があるから等級変更があるかも知れないので、一、二年経ったらもう一度診断する必要があるという趣旨で「但し、フォローアップの必要があると考える。」と付言した。そして、審査官は、昭和五七年二月二二日、審査参与会を開催したところ、出席した埼玉労働者災害補償保険審査参与は、中村医師の出したカウザルギーを第七級の三とする意見は認定基準上認められないとした上、原処分は妥当との意見を述べた。

そこで、審査官は、昭和五七年三月五日、以上の資料等を踏まえて、原告の右手に著しいカウザルギーの残存は認められるが、その程度は、原告には一般的な労働能力は残存しており、疼痛により就労可能な職種の範囲が相当程度に制限される神経系統の機能及び精神障害が残存するものと考えられるので、中村医師の前記意見は採れないとした上、本件認定は維持すべきで、原告の他の残存障害についての等級認定も含めて原処分は正当であるから取消す理由はないとして、審査請求を棄却した。

Ⅲ 再審査について

(証拠略)並びに弁論の全趣旨をあわせれば次のとおり認められる。

原告は、審査請求におけるのと同一の理由により、審査請求を棄却した決定を不服として、昭和五七年三月一六日、労働保険審査会に対し、原処分の取消を求めて再審査の請求をした。

審査会は、昭和五八年五月一二日、審査会の公開審理を開いたが、原告はその席上で、切ったあとの右手が痛くて使えないし、肩と腹が苦しく、耳ががんがんして夜も眠れないと訴える一方、同居している菅野が発作を起こすと原告が介抱するし、右手で字は書いていると述べた。また、審査会はその席上で、原告の触視診を行ったが、原告は右手第三指、第四指が切断されており、この部分に疼痛を訴えるが、第五指については動かしても痛みは訴えず、右腕関節を尺側に屈曲させると橈側部分に痛みを訴えるが、その他には、右肘・肩には運動痛はみられず、原告の前腕の太さは視診では左右差はなく、前腕及び手の皮膚の色・光沢にも左右とも異常は認められなかった。

そこで、審査会は、昭和五八年九月二六日、原告、被告及び審査官の提出した資料(既に原処分、審査の際に提出された資料も含む)と右触視診の結果に基づいて、本件で問題となっている「カウザルギー及び精神障害」について、原告は情緒が不安定であるが心因が多分にあり、また、疼痛の程度については客観的には原告の申し立てる程度に高く評価することは困難であるから、原告の主張する「手掌は痛みで触ることができず、夏でも皮手袋を使用している」程の疼痛は認め難いと判断した上、本件認定を維持して、原告の他の残存障害についての等級認定も含めて原処分は正当であり取消す理由はないとして、再審査請求を棄却した。

(3) してみると、原告は受傷直後から再審査請求に対する裁決の時点まで一貫してカウザルギーによる疼痛を訴えてきていることが認められる。そして、原告の自訴どおりの疼痛が客観的にも認められるのであれば、原告の残存障害たる「カウザルギー及び精神障害」については、軽易な労働以外に常に差し支える程度の疼痛のある場合であるとして第七級の三と認定すべきものであろう。

ところで、前にも述べたとおり「カウザルギー及び精神障害」については、「障害等級認定基準」によれば等級認定する場合には、第七級の三、第九級の七の二、第一二級の一二のいずれかの等級に認定すべきこととなるが、証人遠藤実、同中村友輔の各証言及び弁論の全趣旨をあわせれば、カウザルギーによる障害等級の認定にあたっては、患者の自訴のほか疼痛の発作の頻度、疼痛の強度と持続時間及び疼痛の原因となる他覚的所見によって、疼痛の労働能力に及ぼす影響を判断してなさなければならないということは認定行政に関与する専門医師の共通の認識であることが認められ、この認識は障害給付制度の趣旨と先に述べたカウザルギーの性質に照らし、合理的なものとみることができる。

そうすると、受傷者の軽易な労働以外の労働に常に差し支える程度の疼痛があるとの自訴に加えて、他覚的所見により、その自訴を積極的に裏付けることができない限り、第七級の三と認定することはできないと解すべきである。このことは、カウザルギーにおける疼痛の判断がその性質上客観的な面から把握することが困難で受傷者の自訴を中心として判断するほかないとしても、真に労災保険によって保護を受けるに価する者と症状を不当に誇張して障害補償給付の支給を請求する者とを区別して、労災保険制度を適正・公平に運用するためには、必ずしも不合理とは言えないのである。

本件について見ると、原告は一貫して第七級の三に認定することができるような自訴をしてきたことが認められるが、前記の(二)、(2)の原処分をなした際の手続、審査手続、再審査手続の各手続を経ても、原告の自訴を積極的に裏付けるべき他覚的所見は特に見当らず、かえって、自訴に反する事実も認められるのである。

すなわち、既に認定したように、原告は、昭和五六年二月に予定された疼痛除去手術を受けなかったこと((二)、(1))、「身体障害申立書」中請求人欄を自署したこと((二)、(2)、Ⅰ)、原処分後にラーメン屋で働いていたこと((二)、(2)、Ⅱ、(Ⅰ))、腕の太さには視診では左右差が認められず、皮膚の色・光沢に異常がなかったこと((二)、(2)、Ⅱ、(Ⅲ))はいずれも、右手を使用してきたということを推認させるものである。

従って、原告の残存障害たる「カウザルギー及び精神障害」を第九級の七の二とした本件認定はこれを正当として是認できるものである。

(4) そして、原告の右手第三指及び第四指の亡失と右手第五指の用廃については当事者間に争いがないところ、前記施行規則別表障害等級表に照らすと、前者については障害等級表第一〇級の五、後者については同等級表第一四級の五にあたるとする認定はいずれも正当であるから、身体障害が二以上ある場合には、重い方の身体障害の該当する障害等級によるとし、第一三級以上に該当する身体障害が二以上ある場合には一級繰り上げた障害等級によるものとした規定(施行規則一四条二項、三項)を適用して、原告の障害等級を第八級と認定したうえ同等級相当額の障害補償給付をする旨の被告の処分は適法である。

三  以上のとおりであって、被告のなした原処分には等級認定には誤りはなく違法ではないので、原処分の取消を求める原告の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小笠原昭夫 裁判官 野崎惟子 裁判官 永井裕之)

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